動画でお散歩。。。清水次郎長・石松の仇討ち

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  • 清水次郎長 - - 西郷輝彦
  • 大政 - - 中村敦夫
  • 小政 - - 和田浩治
  • 森の石松 - - 尾藤イサオ
  • 桶屋の鬼吉 - - 大和田 獏
  • 法印大五郎 - - 谷 幹一
  • 追分三五郎 - - 松山英太郎
  • 大瀬半五郎 - - 関口 宏
  • 仙右衛門 - - 佐藤佑介
  • およし - - 叶和貴子
  • 黒駒の勝蔵 - - 名和 宏
  • 竹居の貴貴 - - 遠藤太津朗
  • 増川屋与右衛門 - - 増田順司
  • 五兵衛 - - 伊沢一郎
  • 黒瀬軍太夫 - - 高野真二
  • 鬼瓦の勘兵衛 - - 井上昭文
  • お直 - - 三宅邦子
  • 駿河屋 - - 永野辰弥
  • 大岩 - - 宮口二朗
  • 小岩 - - 浜田 晃
  • 佐吉 - - 中田博久
  • 文七 - - 松山照夫
  • お蝶 - - 増田けい子
  • 安東の文吉 - - 加藤 嘉
  • 山岡鉄舟 - - 加藤 剛 (特出)
  • 大前田英五郎 - - 片岡千恵蔵 (特出)

清水次郎長(しみずのじろちょう)

江戸後期の博徒。本名は山本長五郎。駿河国(するがのくに)有渡(うど)郡清水港美濃輪(しみずみなとみのわ)(現、静岡市清水区美濃輪町)の船持船頭高木三寿郎の子として生まれる。

生後まもなく叔父の米穀商「甲田屋」山本次郎八の養子となる。通称次郎長は次郎八方(かた)の長五郎で、相続人の意。
幼くして悪党の評があり、家業のかたわら博奕(ばくち)に手を出し、賭場(とば)に出入りするようになる。

1842年(天保13)賭場のもつれから博徒に重傷を負わせて他国に逃げ、無宿渡世(むしゅくとせい)に入る。
以後清水に戻ったのちも、喧嘩(けんか)、博奕で次郎長一家の名をあげ、黒駒勝蔵(くろごまのかつぞう)、江尻熊五郎(えじりのくまごろう)らを抑えて400人余りの博徒の盟主になったと伝えられる。

後代仁侠(にんきょう)の徒として神田伯山(かんだはくざん)、広沢虎造(ひろさわとらぞう)らにより講談・浪曲の世界でもてはやされたのは、次郎長の養子天田五郎(あまだごろう)(愚庵(ぐあん))が『東海遊侠伝』(1884)を刊行してからである。

1868年(明治1)東海道総督府判事、伏谷如水(ふせやじょすい)から旧悪を許され帯刀の特権を得、新政府の東海道探索方を命じられてからは、囚人を使役して富士の裾野(すその)を開墾したり、汽船を建造して清水港発展の糸口をつけたり、その社会活動は精力的でみるべきものが多い。

明治26年病死、葬式には1000人前後の子分が参列したという。静岡市の梅蔭寺(ばいいんじ)に墓がある。

Yahoo! 百科事典より「執筆者:藤野泰造」