歌い継いでいきたい 童謡 ・ 唱歌 ランキング 【NO.1】

日本人の歌の原風景ともいえる童謡や唱歌。
日本の美しい自然風景を歌ったがものが多く そこに描かれた風景の一部は失われ。。。
歌われることも少なくなりました。
童謡や唱歌には 口ずさむと。。。自然と浮かんでくる心を打つ情景と 懐かしさがこみ上げます。
細くてもいい。。。長く愛され 心を励ます存在でありますように。。。

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蝶
もう、物は結構です。それより、のどかな時間がほしいと、思われる人が多いのではないでしょうか。 作詞:三木露風。作曲:山田耕筰。=1927年=
秋が来ると思い出す。。。もの悲しい旋律が印象的。♪♪
作詞:サトウハチロー。
作曲:中田喜直。 =1955年=
1887年に小学唱歌に。
長く卒業式の定番であったのですが。。。なぜ卒業式で歌わなくなったのでしょうか?
これほどふさわしい曲はないと思うのですが ?
格調高い文語体だが人気健在♪
作詞:土井晩翠。作曲:滝廉太郎。
=1901年=
夕焼けを見るとつい口に出る曲。
ああ。。。帰るらなきゃ・・・
作詞:中村雨紅。作曲:草川信。
=1923年=♪
やわらかく美しい旋律にのせて
遅い春を待ちわびる思いを。。。
作詞:吉丸一昌。作曲:中田章。
=1913年=
米国の歌が1962年にNHK「みんなのうた」で紹介され人気に!
おじいさんは天国に行ってしまうのですね。。。寂しいです
この歌が単に田舎の秋の風景を歌っただけではない事を中年になって知りました。南方に出征しているお父さんを心配する母子の様子が窺えます。
作詞:斎藤信夫。作曲:海沼実。
この曲を聴くと、母にもっと優しく接し必ず親孝行しなくては、という気持ちになります。とても優しい歌で好きです。
作詞/作曲:窪田聡。
=1956年=
国歌にと推す声もあるそうです。国民的愛唱歌。
「春の小川」「もみじ」などと同じく、
作詞:高野辰之。作曲:岡野貞一。
=1914年=
作詩:野口雨情 作曲:本居長世
作詩:清水かつら 作曲:弘田竜太郎
第1位
赤とんぼ
第2位
ちいさい秋みつけた
第3位
♪仰げば尊し♪
童謡/赤とんぼ 童謡/ちいさい秋みつけた 唱歌/仰げば尊し
第4位
荒城の月
第5位
夕焼け小焼け
第6位
早 春 賦
荒城の月 童謡/夕焼け小焼け 唱歌/早春賦
第7位
大きな古時計
第8位
里の秋
第9位
かあさんの歌
大きな古時計 里の秋 かあさんの歌
第10位
故 郷
推薦曲
赤い靴
推薦曲
叱られて
唱歌/故郷 童謡・唱歌/赤い靴 童謡・唱歌/叱られて
=参考文献=
このページは、 朝日新聞/2010年3月20日「be on Saturday」
掲載の、beランキング「歌い継いでいきたい童謡・唱歌」を
参考に一部編集したものです。 朝日新聞社web
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童謡(どうよう)とは

童謡(どうよう)とは、広義には子供向けの歌を指す。
狭義には日本において大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲を指す。厳密には創作童謡(そうさくどうよう)と呼ばれる。この意味で用いる場合は、学校教育用に創作された唱歌や、自然発生的に作られたわらべ歌(自然童謡、伝承童謡)は含まれない。日本国外の子供向け歌曲についても、同様の傾向をもつものを「童謡」と呼ぶことがある。

歴史
◆大正時代初期以前
古くは子供の歌といえば、いわゆるわらべ歌であった。明治期に西洋より近代音楽が紹介されると、学校教育用に唱歌(文部省唱歌)と呼ばれる多くの歌が作られた。これらは徳育・情操教育を目的に、主に文語体で書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを歌ったものである。

江戸時代には童謡という語はわらべ歌を指し、明治時代から大正時代初期には、子供の歌という意味でも使われていた。

◆大正時代後期
こうした概念を一部に保持しながら「わらべ歌」「子供の歌」という意味で用いられてきた童謡という語に、「子供に向けて創作された芸術的香気の高い歌謡」という新しい意味付けをしたのは鈴木三重吉である。鈴木は1918年(大正7年)7月、児童雑誌『赤い鳥』の創刊を契機に「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲」を子供たちに与えたいとして、そうした純麗な子供の歌を「童謡」と名付けた。さらに当時は「子供たちが書く詩」も童謡と呼んでいた。

このため「童謡」という語には1910年代以降、
@子供たちが集団的に生み出し、伝承してきたわらべ歌(=自然童謡、伝承童謡)
A大人が子供に向けて創作した芸術味豊かな歌謡(=創作童謡、文学童謡)
B子供たちが書いた児童詩
という3つの概念が付与されていた。

これらの概念は時代の変遷に伴って変化したり混在したりした。2000年代現在では狭義の「童謡」という語は2.の意味で定着しているが、近年ではその概念は大きく広げられ「童謡=子供の歌」としてとらえ、唱歌、わらべ歌、抒情歌、さらにテレビ・アニメの主題歌など全ての子供の歌を「童謡」という語で括ってしまう傾向が目立つ。

「童謡」(創作童謡)は児童雑誌『赤い鳥』の創刊によって誕生したといえるが、この雑誌に掲載された童謡には当初、曲(旋律)は付いていなかった。創刊年の11月号に西條八十の童謡詩として掲載された『かなりや』が、翌1919年(大正8年)5月号に成田為三作曲による楽譜を付けて掲載された。これが創作童謡の嚆矢である。これまでの難解な唱歌や俗悪な歌謡曲ではない、真に子供のための歌、子供の心を歌った歌、子供に押し付けるのではなく、子供に自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という鈴木三重吉の考えは多くの同調者を集め、童謡普及運動あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となった。

『赤い鳥』の後を追って、斎藤佐次郎の『金の船』など多くの児童文学雑誌が出版され、最盛期には数十種に及んだ。中でも『赤い鳥』の北原白秋と山田耕筰、『金の船』(後『金の星』と改題)の野口雨情と本居長世などが多くの曲を手がけ、童謡の黄金時代を築いた。北原白秋・野口雨情は、『赤い鳥』から『童話』へ移った西條八十と共に三大詩人と呼ばれた。

=掲載のテキスト=
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者:空欄   掲載サイト
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最終更新 2010年9月23日 (木) 15:03