動画でお散歩 / ゆりかごのうた

童謡
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■ 童謡 / ゆりかごのうた

詩:北原白秋 作曲:草川信
大人が聴いても心安らぐ日本の名曲「ゆりかごの唄」は、1921年に『小学女生』上で発表された。

ゆったりと優しい時間が流れる中で、安らかに眠る我が子を愛しげに見つめる母親の姿が目に浮かぶようだ。

■ 作詞者:北原 白秋(きたはら はくしゅう)について

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日〜1942年(昭和17年)11月2日 )は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。

弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を、北原正雄は写真系の玄光社を創業した。

1885年1月25日、熊本の南関に生まれ、まもなく福岡の柳川にある家に帰る。父・長太郎、母・シケ。北原家は江戸時代以来栄えた商家(油屋また古問屋と号し、海産物問屋であった)で、当時は主に酒造を業としていた。1887年、弟鉄雄が生まれる。またこの年、白秋に大きな影響を与えた乳母シカがチフスで逝去する。

1891年、矢留尋常小学校入学。1897年、柳河高等小学校より県立伝習館中学(現福岡県立伝習館高等学校)に進むも、1899年には成績下落のため落第。このころより詩歌に熱中し、雑誌「文庫」「明星」などを濫読する。ことに明星派に傾倒したとされている。

1901年、大火によって北原家の酒倉が全焼し、以降家産が傾きはじめる。白秋自身は依然文学に熱中し、同人雑誌に詩文を掲載。この年はじめて「白秋」の号を用いる。1904年、長詩『林下の黙想』が河井酔茗の称揚するところとなり、「文庫」四月号に掲載。感激した白秋は父に無断で中学を退学し、早稲田大学英文科予科に入学。上京後、同郷の好によって若山牧水と親しく交わるようになる。

この頃、号を「射水(しゃすい)」と称し、同じく友人の中林蘇水・牧水と共に「早稲田の三水」と呼ばれた。1905年には『全都覚醒賦』が「早稲田学報」懸賞一等に入選し、いちはやく新進詩人として注目されるようになる。このころ、少年時代南関の家で本を読み、白秋に本の大切さを教えた叔父が亡くなる。

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ゆりかごのうた 歌詞 /夏川りみ ゆりかごのうた/ YouTube 夏川りみ ゆりかごのうた

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最終更新 2011年3月14日 (月) 16:27