動画でお散歩 / 里の秋

童謡
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■ 里の秋

「里の秋」(さとのあき)は、日本の童謡。作詞は斎藤信夫、作曲は海沼實。童謡歌手の川田正子が歌い、1948年(昭和23年)、日本コロムビアよりSPレコードが発売された。

小学校の音楽教科書に長年採用され、2007年(平成19年)「日本の歌百選」に選ばれた。

■ 概 要

1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。

放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。

1番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2番では夜空の下で遠くにいる父親を思う様子、3番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現している。

「復員だより」は昭和21年1月 - 6月に社団法人日本放送協会東京放送局 (JOAK) が放送したラジオ番組。月 - 金曜の午前と午後に放送され、多くの人がこの放送に耳を傾けていたとされる。後番組の「尋ね人の時間」と合わせて、9万9000件以上を紹介し、そのうち約1/3が再会までたどり着いた。

■ ヒットの背景

終戦当時、日本の国民のうち、外地と呼ばれる地域にいた民間人と軍人は約660万人と言われている。 戦後の混乱もあって、外地の日本人との連絡は難しく、特に満州、樺太、千島列島にいた兵士や民間人は行方が分からなかった。

彼らがシベリアに抑留されていると外務省が知ったのは、翌昭和21年のAP通信であった。

引揚者らは日本への航路がある港に殺到したため、引揚げ船・復員船は常に超満員だった。

運良く乗船できても、暗く狭い船倉は衛生状態も悪く、快適ではなかったらしい。

本土に上陸しても、列車内は買い出し等で大きな荷物を持った人でごった返し、列車のわきにぶら下がったり、屋根に座ったりする人が多かった。列車とすれ違う時や、SLの煙が充満したトンネル内では大変な思いであった(肥薩線列車退行事故)。

終戦直後には、潜水艦に船が撃沈される等、まさに命がけの引揚げであった。

また、引揚者を受け入れる内地は、戦火で焼けた都市部の住宅不足に加え、急激なインフレーション、物資不足、深刻な食糧難にみまわれていた。

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最終更新 2010年10月17日 (日) 08:21