動画でお散歩。。。大関 魁皇 引退 !!

 動画でお散歩。。。大関 魁皇 引退 !!

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大関 魁皇
魁皇引退
  魁皇が引退 1047勝の最強大関 7月20日引退発表
大関魁皇(38)は、2011年7月14日 通算1046勝という新記録を打ち立てた。

=「感謝でいっぱい」魁皇引退コメント=

やっと終わったな、長かったと思う。

振り返れば、いろんな人に支えられ、応援してもらった。

そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。

23年間の相撲人生は長い。

簡単には振り返れないけど、すべての人に感謝したい。

言葉にできないほど感謝でいっぱい。

魁皇としての人生は最高でした。

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■ 魁皇 博之

魁皇 博之(かいおう ひろゆき、1972年7月24日 - )は、福岡県直方市出身で友綱部屋所属の元大相撲力士。本名は古賀博之(こが ひろゆき)、愛称はキンタ。身長185cm、体重173kg、血液型はA型。得意手は左四つ、寄り、上手投げ、小手投げ。最高位は東大関。年寄・浅香山を襲名予定。

■ 相撲界入門 - 入幕

市立直方第二中学校時代に柔道をしていたところその巨体から、顧問の教師に相撲を勧められる。その魁皇のためにわざわざ「柔道・相撲部」を作った(それまでは柔道部のみだった)。またその顧問の教師と相撲を取ったところ、教師は片手で体を持ち上げられ非常に驚かされたという。またその相撲部時代にはほかの生徒たちが飲んだスチール缶の空き缶を片手で潰して片づけていた。入幕前、水道の蛇口が硬くて廻らないのを無理に回そうとした所、怪力のあまり壊してしまったことがある。入門前は、元大関北天佑の大ファンだったと言われている。北天佑も魁皇も、共に、上手からの強烈な投げ技が持ち味の「怪力大関」と言われた。

中学校卒業後に友綱部屋に入門し、1988年3月場所で初土俵を踏んだ。同期には大海(後に64代横綱・曙)、貴花田(後に65代横綱・貴乃花)、若花田(後に66代横綱・若乃花)、和歌乃山、力櫻など有望な新弟子がおり、花の六三組と称された。貴乃花・和歌乃山・力櫻とは同い年・同学年であった。

初めて番付に掲った88年5月場所では負け越す(その後も、序二段、三段目、幕下、十両、幕内のデビュー場所はすべて負け越し。下表参照)など、花田兄弟や曙のようなスピード昇進とはいかないものの、着実に出世を果たし、初土俵から4年足らずの1992年初場所で十両昇進、四股名を「魁皇」とする。1993年夏場所、20歳の若年での新入幕を果たし、若手の有望株として注目を集めるようになる。新入幕場所こそ大きく負け越してしまい十両陥落となるものの、同年九州場所に再入幕後は日の出の勢いで番付を上げ、1994年春場所には曙を下し初金星、初の三賞受賞(殊勲賞)、翌夏場所には早くも新三役となる。1995年の初場所の新関脇場所からは実に13場所連続で関脇に在位(史上最長)し、その後も度々三役に上がり、有力な大関候補として期待を寄せられるものの、足踏みする時期が長く続いた。それでも大関昇進までに2度の優勝同点、4度の優勝次点、史上3位の15回の三賞受賞などを記録し、強豪力士の一人として曙・貴乃花全盛の1990年代の土俵に在った。

■ 幕内初優勝 - 大関時代

小結で迎えた2000年夏場所、14勝1敗で念願の幕内初優勝を果たし、これが足がかりとなって名古屋場所後にようやく大関昇進を決める。大関獲りでは千代大海・出島・武双山・雅山らに遅れをとったが、大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、大関としては合計4度の優勝を経験、横綱候補の1番手だった時期もあった。しかし、怪我の多さや精神的な脆さもあり、途中休場して綱取りのチャンスを無碍にしてしまうことも多かった。

32歳となる2004年には円熟期を迎え、全場所で二桁勝利を記録。9月場所には5回目の優勝を遂げる。4度目の綱取りとなる翌11月場所では、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まった。しかし12日目に3敗を喫し優勝争いから脱落。それでも「千秋楽で横綱朝青龍を破っての準優勝なら昇進の可能性がある」との発言が押尾川審判部長からあり、千秋楽の結びの一番への期待が高まった。千秋楽では朝青龍を万全の相撲で下し、横綱昇進決定かと思われたが、結局昇進は見送られた。翌2005年1月場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わった。

2005年1月場所から2006年3月場所までは、途中休場により翌場所大関角番・角番脱出の繰り返しが続き、大関の地位を辛うじて維持するという状況だった。特に9回目の角番となった2006年3月場所は、序盤から本来の相撲が取れず負けが先行すると引退を示唆して、師匠の友綱親方と相談し負け越したら引退する決意を固めた。しかし7敗してから踏ん張り、千秋楽に朝青龍と優勝争いをしていた白鵬を寄り切って勝ち越しを決めた。2006年5月場所以降、千秋楽まで皆勤の出場場所が増えてはいるが、成績は10勝すらままならず勝ち越すのがやっとの状態が多く、特に2005年以降は何度も引退の危機を迎えていた。

2007年9月場所4日目の安馬(後に日馬富士)戦で、幕内通算706勝を達成した。この記録は67代横綱・武蔵丸の706勝に並ぶもので、大関以下の力士としては1番、現役の力士としてももちろんダントツの記録である。しかし、その2日後、右太腿の負傷を悪化させまたしても途中休場となった。翌11月場所は、2006年同様に再起をかける場所となったが、14日目で勝ち越して11度目の角番を脱出、引退の危機から免れた。勝ち越しが決まった瞬間には、観客はその日の結びの一番よりも大きな声援を魁皇に送った。

2008年8月のモンゴル巡業では、当時の横綱・朝青龍や横綱・白鵬などモンゴル出身力士以上の大人気ぶりだった。2008年11月場所前、大関・琴欧洲との稽古で右足を痛め、休場が濃厚だったが強行出場した。しかし、3日目に若の里との取組み中に左腕まで痛めてしまい途中休場となった。

2009年1月場所は千代大海と並んで1位タイとなる、12度目の大関角番となった。進退を賭けて場所入りし、12日目に前頭3枚目・豪風を破って角番脱出、同時に引退危機も乗り越えた。その後3連敗したため場所を8勝7敗で終えた。その場所直後に虫垂炎で緊急入院、手術はせず薬で治療したが協会の公式行事は休場した。2009年11月場所で幕内在位が98場所となり、関脇・高見山の97場所を超える大相撲史上第1位の記録を達成した。同場所3日目に把瑠都を破って史上3人目の通算800勝を果たし、九重親方(58代横綱・千代の富士)は「私の幕内807勝(史上1位)を超えて欲しい」とエールを送った。さらに同場所10日目、琴欧洲を押し倒しての勝利で幕内805勝を達成、55代横綱・北の湖)の804勝を超えて幕内勝利数が単独第2位の記録となった。この年は2005年以降では最多となる年間48勝を記録した(2005年が39勝、2006年が40勝、2007年が44勝、2008年が43勝)。なおこの年はすべての場所で8勝7敗という記録も達成した。

2010年1月場所2日目に豪栄道に勝ち、19年ぶりに横綱・千代の富士の持つ幕内通算白星807勝に並んだが、この一番は魁皇得意の左四つ右上手だった。そして3日目には、奇しくも九重親方の愛弟子でかつ長年共に大関として支えあった千代大海(当時関脇)に対し、豪快な送り投げで勝利し、ついに幕内通算808勝を達成して史上単独1位になった。なお、この千代大海戦が幕内通算54回目の取組となり、史上2位の記録であったが(対戦成績は魁皇の34勝20敗。幕内対戦の史上1位は武蔵丸対貴ノ浪の58回)、この一番で千代大海は現役最後の相撲となり、翌4日目に引退を表明した。10日目には引き落としで日馬富士戦の連敗を8で止め、さらに13日目には、2006年3月場所以来23場所ぶりに横綱白鵬を破り、白鵬戦での連敗を17で止めた。白鵬はこの敗北の翌日から63連勝を記録している。14日目には稀勢の里を上手投げで破って勝ち越し。そして千秋楽でも垣添を送り倒しで勝利、8場所ぶりの9勝6敗で終えた。 2010年3月場所で幕内通算在位が丁度100場所を迎え、この場所も8勝7敗と勝ち越した。3月30日、幕内在位100場所達成及び幕内通算勝利数を更新した功績を称え、日本政府は内閣総理大臣顕彰を魁皇に授与することを決定し、4月26日に総理大臣官邸で顕彰式が執り行われた。

2010年5月場所で十両以上の関取在位場所数が、史上単独1位である111場所となった。さらに千秋楽にて大関琴欧洲を破り、大相撲史上二人目となる通算1000勝を達成した。

2010年7月、場所前に大関琴光喜が解雇されたため大関以上の地位での日本人力士は魁皇のみとなった。同時に、幕内最高優勝の経験を持つ唯一の現役日本人力士ともなった。11日目から怪我の為に途中休場、休場中の7月場所14日目(7月24日)に38歳の誕生日を迎えた。翌9月場所に13回目の大関角番を迎えたが14日目に勝ち越して角番を脱出。

2010年11月場所は初日に安美錦に敗れるも、2日目から12日目まで11連勝の快進撃を続け優勝争いを演じた。13日目に1敗の白鵬、14日目に同じく1敗の豊ノ島に敗れ優勝争いから脱落したが、千秋楽に把瑠都を破って2004年11月場所以来36場所ぶりの12勝(3敗)を挙げ、九州場所は稀に見る盛り上がりを見せた。

2011年1月場所12日目に把瑠都を破って、大相撲史上初となる通算100場所勝ち越しを達成した。2011年5月技量審査場所12日目には、大相撲史上単独1位となる幕内出場回数・1431回目を達成した。千秋楽では白鵬に右上手を掴んでの寄り切りで勝ち、通算勝ち星を1044勝とした。

■ 通算最多勝利達成 - 現役引退

翌7月場所は、千代大海と並ぶ史上1位タイの大関在位数65場所目を迎えた。同場所では初日から3連敗し苦戦を強いられたものの、4日目で千代の富士の持つ通算1045勝に並び、5日目に2勝目をあげて、通算勝星史上単独1位となる通算1046勝の記録更新となった。その後は7日目に3勝目を挙げたが、この通算1047勝が現役最後の勝利となる。10日目を終えて3勝7敗と負け越し寸前となり、取組後の記者懇談で「気力が出なくなった」と漏らし、宿舎に戻り師匠と話し合った末、現役を引退することを決めた。

初土俵以来23年以上の長きに渡る現役生活、また2000年9月に大関に昇進して以来、10年以上に渡り関脇に一度も陥落することなく大関の座を守り続けた。また2007年9月場所の番付で、35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新、2010年3月場所には昭和以降の最高齢大関在位記録をも更新した(従来は1932年10月場所、能代潟の37歳6ヶ月)。2011年版ギネス・ワールド・レコーズに「幕内通算846勝」「幕内在位103場所」として掲載された。

1999年に結婚、子供はいない。5歳年上の妻・充子は元タレントだが、タレントになる以前は女子プロレスラーであった。そのためか、女子プロレス関係者の中にもファンを有した。また現役当時の力士の中では、現幕内の高見盛を凌ぐほどの、一番人気の高い力士の一人であった。福岡県出身だけに、福岡市で開催される九州場所での館内での声援は絶大で、対戦相手は「魁皇関にとってはホームゲーム、こちらはアウェーゲームみたいなものだ」と、かつて青森県出身の音羽山親方(大関・貴ノ浪)がこのような発言をしていた。

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出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者:空欄   掲載サイト
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最終更新 2011年7月19日 (火) 16:12