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海上保安庁 = JAPAN COART GUARD = 日本国沿岸警備隊 JCG

※ 特殊救難隊/レスキュー密着24時を加筆/更新=2011年1月5日=
海上保安庁(Japan Coast Guard)は、海上の安全および治安の確保を図ることを任務とする国土交通省の外局である。略称は海保(かいほ)、保安庁、JCG と呼ばれている。
今回映像流出で話題になっている『You Tube/動画投稿サイト』だが、海上保安庁の広報活動として以前より利用されている。
平成13年(2001年)12月22日 、九州南西海域工作船事件発生。
威嚇射撃したのち不審船の反撃を受け、銃撃戦の末、北朝鮮工作船は自爆し沈没した。
その一部を 撮影した映像もサイトへ投稿されている。
下記へ記載の「海上保安庁概要」から、その任務の一端を理解するいい機会ではありませんか。
海保旗
海上保安庁旗/出典: Wikipedia
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■ 海上保安庁 = JCG =

海上保安庁(かいじょうほあんちょう、英語:Japan Coast Guard)は、日本の官公庁の一。
海上の安全および治安の確保を図ることを任務とする、国土交通省の外局である。略称は海保(かいほ)、保安庁(ほあんちょう)、JCG。

■ 概 要

海上の安全および治安の確保を図ることを任務とする行政機関であり、国土交通省の外局。
主に、海難救助・交通安全・防災及び環境保全・治安維持が任務の内訳となるが、現実には海洋権益の保全(領海警備・海洋調査)をも任務としている。
諸外国の艦艇に対応する任務は、海上自衛隊が担当し、船舶に対する任務は海上保安庁が負う。

諸外国では沿岸警備隊(コーストガード)、国境警備隊等と呼ばれる準軍事組織に相当し、戦争の際は軍隊の一部として参戦することが国際法では認められているが、海上保安庁法ではこれを否定している。
このため、後述の通り、有事の際に防衛大臣の指揮下に組み込まれるとなっているが、海上自衛隊には編入されず、常に警察任務と海難救助に徹する可能性もある。
海上保安庁としての職員数は約1万2千人、予算規模は約1800億円(海上自衛隊は約1.1兆円)で、人員の大部分は、海上保安大学校や海上保安学校を出た海上保安官であるが、長官や管区本部長は国土交通省の官僚などである。
海上航行に不可欠な羅針盤をデザインした意匠を使用している。

英称は1948年の開庁以来 Maritime Safety Agency of Japan(略称:MSA または JMSA 「日本国海上保安庁」の直訳)を用いてきた。だが、諸外国の船員等の間で「海上警備機関か海事サービス機関か不明瞭」との声が多かった。そのため、権限や法律の変更は全くないが、2000年から Japan Coast Guard(略称: JCG 「日本国沿岸警備隊」の意)に名称のみを変更した。

■ 歴史 概略

1948年(昭和23年)、芦田内閣の下で設立された。これは第二次世界大戦後、それまで日本周辺海域における法秩序の維持にあたってきた日本海軍が掃海部隊を除いて解体され、これに替わって日本の海上における救難・治安の維持および海上交通を担当する世界初の海上警察・救難総合機関として、運輸省(現国土交通省)外局に設立されたものである。

1952年(昭和27年)には第3次吉田内閣の下、より軍事組織に近い海上警備隊が海上保安庁附属機関として組織されたが、これはまもなく警備隊として分離され、後の海上自衛隊となった。保安庁創設に際して、治安組織の一元化の見地から、海上保安庁も海上公安局に改組されて、保安庁の下に置かれることになっていた(保安庁法及び海上公安局法)。
ところが、海上保安庁側の猛反発により結局、保安庁法の海上公安局に関する規定及び海上公安局法は施行されないまま、それに代わる自衛隊法の制定によって廃止される。そのため、海上保安庁は改組を免れて、現在に至るまでその状況が存続している。

■ 活動年表

1948年(昭和23年)5月1日 - 海上保安庁発足。
1950年(昭和25年) - 特別掃海隊が朝鮮半島へ出動。
10月17日に、そのうちの1隻が元山沖で機雷に接触して沈没、乗員1名が殉職し、2名が重体、5名が重傷、11名が軽傷を負った。
1952年(昭和27年)9月24日 - 明神礁において海底火山の観測を行っていた測量船、「第五海洋丸」が海底火山の噴火に巻き込まれて遭難、調査員9名、乗員22名が殉職。

1953年(昭和28年)8月8日 - ラズエズノイ号事件発生。北海道猿払村知来別沖において、漁業巡回船に偽装したソビエト連邦工作船「ラズエズノイ」が、日本国内に潜入した工作員を収容するために日本領海を侵犯した現場を、第一管区稚内海上保安署の巡視船「いしかり」「ふじ」が発見。「ふじ」は、停船命令を無視して逃走した「ラズエズノイ」に射撃を行い、船体に命中。「ラズエズノイ」を強制的に停船させ乗組員全員を検挙した。ソ連は正式に陳謝した。
1954年(昭和29年)4月21日 - 竹島に接近した巡視船3隻、独島義勇守備隊から攻撃を受け、損傷被害を受ける。
1956年(昭和31年)11月8日 - 巡視船「宗谷」による南極地域観測支援業務を開始。その後1962年までに通算6回の観測支援業務を遂行。

1959年(昭和34年)- 日本赤十字社、列車、船舶などを爆破するために侵入しようとした韓国工作員の上陸を阻止した(新潟日赤センター爆破未遂事件)。
1979年(昭和54年)5月17日 - 尖閣諸島魚釣島に仮設ヘリポートを設置するため、第一管区海上保安本部釧路海上保安署所属の巡視船「そうや」を派遣。仮設ヘリポートは、後に中華人民共和国の抗議があったため撤去された。
1992年(平成4年)11月7日 - フランスから日本へプルトニウムを輸送するため、プルトニウム輸送船「あかつき丸」がシェルブール港を出航。横浜海上保安部所属の世界最大の巡視船「しきしま」の護衛をうけ、約60日間かかって無事海上輸送が行われた。「あかつき丸」には特殊警備隊SSTの前身部隊が13名乗り組んでいた。乗り組みの事実は当時、秘密であったが、後に判明する。

1999年(平成11年)3月23日 - 能登半島沖の日本領海内に北朝鮮のものとみられる不審船が侵入する事件が発生。巡視船に特殊警備隊の隊員も乗船して追跡を行ったが、船速の違いから追跡を断念、海上自衛隊に追跡任務を引き継ぐ。(能登半島沖不審船事件)

1999年(平成11年)8月30日 - 東ティモールでインドネシアからの独立を問う住民投票が行われる。住民投票後の暴動に備え、邦人保護の名目で名古屋海上保安部所属の巡視船「みずほ」をディリ沖に派遣。(公式に認められていないが、特殊警備隊SSTが上陸し、残留邦人を警護しながら「みずほ」に避難させたという説もある)

2000年(平成12年)5月1日 - 緊急通報用電話番号「118番」運用開始。

2001年(平成13年)12月22日 - 九州南西海域工作船事件発生。威嚇射撃したのち不審船の反撃を受ける。銃撃戦の末、北朝鮮工作船は自爆し沈没した。交戦において、巡視艇が被弾して日本の海上保安官3名が負傷した。北朝鮮側の工作員は20数名が死亡した。後に、東シナ海沖の中国のEEZ(経済水域)内に沈没した工作船が引き揚げられた。

2004年(平成16年)11月10日 - 漢級原子力潜水艦領海侵犯事件発生。海上自衛隊と共に中国海軍所属の091型原子力潜水艦の追跡を行い、所属航空機が潜水艦の写真撮影に成功したが、対潜水艦ゆえに海上保安庁の能力では必要な対策が出来ず、海上警備行動の発令となった。

2005年(平成17年)5月31日 - 対馬沖の日本の排他的経済水域 (EEZ) を韓国の漁船「502シンプン」が侵犯。第七管区海上保安本部所属の巡視艇2隻が、臨検のため「502シンプン」を停船させたが、当該船は、臨検のために乗り移った保安官2名を乗せたまま韓国側EEZへ逃走。追跡した巡視艇7隻が、韓国蔚山沖で漁船員の引渡しを求めて韓国海洋警察庁の巡視艇6隻と39時間に渉って海上で対峙。結局、漁船のEEZ侵犯を認める代わりに身柄を韓国側に引き渡されるという灰色決着になった。

2005年(平成17年)12月6日 - 韓国海洋警察庁が海上保安庁に対し、日本領海における捜査権の譲渡を要求したが、海上保安庁は「捜査権の譲渡は主権侵害にあたる」として拒否した。

2006年(平成18年)4月14日 - 海上保安庁は、竹島周辺の排他的経済水域での海洋調査を、国際水路機関 (IHO) に通報した。これは、韓国政府が竹島周辺海域の海底地名を日本名から韓国名に変える発議を同年6月のIHO総会で行う観測が流れたために、対案を提出するために行うというものであった。海上保安庁では4月18日に測量船「海洋」「明洋」を出航させて境港沖に待機させ、工作船事件の教訓から配備されたPL型「あそ」を後詰めとして派遣した。対する韓国海洋警察庁は、竹島周辺海域警備任務の為に導入した6,350トンの軍艦仕様の大型巡視船「参峰(サンボン)号」を始めとして警備艇20隻を竹島周辺に展開させ、特殊部隊である海洋警察特別攻撃隊を投入して拿捕を行うと宣言した。それに対して日本政府は、政府船舶の拿捕は国際法違法であり、拿捕すれば直ちにIHOに提訴するとした。結局、韓国がIHO総会で地名変更の発議をしない代わりに、日本は海洋調査を行わないということで決着になった。

2009年3月9日、ソマリア沖に派遣される海上自衛隊の護衛艦に同乗し司法警察職務を行う海上保安官8名からなる派遣捜査隊の任命式が行なわれる。

同年3月14日、護衛艦2隻に同乗し呉港から出発する。(詳細はソマリア沖海賊の対策部隊派遣を参照。)

2010年9月7日 - 尖閣諸島周辺の領海内で違法操業し、巡視船に衝突した中国のトロール漁船の中国人船長を公務執行妨害容疑で逮捕状を請求する。(詳細は尖閣諸島中国漁船衝突事件を参照)

■ 海難救助等に関する活動年表

1954年(昭和29年)9月26日 - 洞爺丸台風により青函連絡船5隻(洞爺丸、北見丸、十勝丸、第十一青函丸、日高丸)が沈没し、1,430名が死亡(洞爺丸事故)。

1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風により11,027隻が遭難。
1966年(昭和41年)3月5日 - 全日空羽田沖墜落事故の捜索活動で出動したが、ヘリが墜落して乗員3名が死亡した。

1974年(昭和49年)11月9日 - LPGタンカー「第十雄洋丸」とリベリア籍貨物船「パシフィック・アレス」が東京湾にて衝突、約20日間に亘り炎上。第十雄洋丸は火災、爆発を繰り返しながら漂流を始め二次災害の危険が増したため、海上自衛隊が魚雷を発射し沈没させた(第十雄洋丸事件)。

1983年(昭和58年)9月1日 - 大韓航空機撃墜事件発生。その後約2ヶ月に亘り大規模な海上捜索を実施。

1990年(平成2年)8月20日 - 樺太に住む当時3歳の男児コンスタンチン・スコロプイシュヌイが全身に大やけどを負う。サハリン州知事からの救助要請を受けて千歳航空基地所属のYS-11A「おじろ」が、日本の航空機としては戦後初めて宗谷海峡を越えて、コンスタンチンをユジノサハリンスク・ホムトヴォ空港から丘珠空港まで緊急搬送。

1997年(平成9年)1月2日 - ロシア籍タンカー「ナホトカ」海難流出油災害発生。当該船は破断事故の末沈没し、C重油約6,140klが流出。(ナホトカ号重油流出事故)

1997年(平成9年)7月2日 - パナマ籍タンカー「ダイヤモンド・グレース」座礁油流出事故発生。東京湾において座礁した当該船より原油約1,550klが流出。

1999年(平成11年)10月22日 - 日本の会社が所有する大型貨物船「アランドラ・レインボー」が海賊に襲撃され行方不明となる事件が発生。船会社から通報を受けた海上保安庁は、鹿児島海上保安部所属の巡視船「はやと」とファルコン900航空機を派遣。フィリピン沖からマレーシア東岸にかけての南シナ海全域を捜索。

2000年(平成12年)12月- 宮城県金華山はるか沖で、シンガポール船籍タンカーの乗員が重篤の状態になる。釧路海上保安署所属のPLH型巡視船「そうや」と塩釜海上保安部所属のPLH型巡視船「ざおう」が救助に向かう。搭載ヘリコプターの能力では本土まで直接搬送が不可能な沖合であったが、2隻の巡視船の協同対処により、初の「飛び石搬送」による急患搬送を行った。

2003年(平成15年)7月2日 - 玄界灘海難事故発生。

2004年(平成16年)10月20日 - 海王丸II世の座礁事故発生。翌21日、台風23号による荒天の中、乗員乗組員併せて167名が無事に救助された。

2009年(平成21年)10月28日 - 伊豆諸島の八丈島近海で乗組員8人が行方不明となった漁船、第1幸福丸(鎮西町漁協所属)の捜索行い、八丈島付近で転覆した当該漁船を発見、船内から乗組員3人を救出した。

■ 草創期の職員

新設された海上保安庁への旧日本海軍幹部の入庁は、海軍幹部が公職から追放されていたため、航路啓開(掃海)部門等を除いて基本的になかった。
代わって、警察機構を有していた旧内務省出身者、警察官や海事の専門家として東京・神戸の高等商船学校出身者が多く入庁した。

特に保安官については、トップの三田一也(元海軍中佐)警備救難監以下、高等商船学校出身者が幹部を占めた。
高等商船学校出身者は、海軍予備員として大戦中応召し士官として海軍に属していたが、海軍兵学校出身の現役将校等に比べて、激戦地において過酷な輸送任務を強いられたため、多大な戦死者を出していた。

そのため高等商船学校出身の海軍予備士官と海軍兵学校出身の兵科現役士官の派閥は、極めて険悪な状態が長らく続いていたといわれていた。

■ 任 務

警備業務:海に関わる犯罪捜査、警備などの海の公安警察・警備警察としての業務(領海警備を含む)
救難業務:海難救助、離島の急患搬送、船舶の消火、汚染防止など、海の消防機関としての業務
海洋情報業務:海図の作成、潮流の測定、防災のための海底火山・海底断層の調査など、海の測量機関としての業務
交通業務:灯台の設置・管理、航行支援システムなど、海の交通警察・海事情報提供機関としての業務 などを所管する。

設置根拠は国家行政組織法第3条第2項及び海上保安庁法第1条、なお、警備業務等を円滑に実施するため、海上保安官は海上保安法第31条、刑事訴訟法第190条により特別司法警察職員と規定されている。
また、創設当時の海上保安庁(保安局)は、当分の間旧海軍艦船の保管に関する事務を掌るものとされていた。

■ 担任水域

領海、接続水域、排他的経済水域(EEZ)、日米SAR協定に基づく捜索救助区域(本土より南東1200海里程度)である。
このうち領海とEEZを合わせた面積だけでも約447万km2あり、領土(約38万km2)の約11.8倍に相当する。

これにSAR協定分担域を合わせると、国土面積の約36倍という広大な水域を担当していることになる。
捜索救難任務で、海上保安庁の能力では対処困難な場合は、各管区海上保安本部から海上自衛隊に災害派遣の要請が出される。
災害派遣の要請を受けた海上自衛隊では、護衛艦、哨戒機、救難飛行隊などを派出して海上保安庁の活動に協力する態勢が敷かれる。

活動範囲は当初、「港、湾、海峡その他の日本国の沿岸水域において」(制定時の海上保安庁法第1条第1項)と限定されていたが、後に改正されて単に「海上において」と規定され、活動範囲の限定が解除された。そのため、活動範囲は全世界に及ぶ。

一例として、専用船「しきしま」によるヨーロッパ - 日本間のプルトニウム輸送護衛任務、マラッカ海峡における海賊捜索任務などがある。

■ 海上保安庁の性格

海上保安庁は海上における警察・救難・交通業務を総合的に司ることを念頭に世界で初めて設置された海上警察機関である。
よって、法第25条により、海上保安庁は軍隊ではない事が規定されている。

そのため、シンボルマーク・記章類・制服等は軍隊色をイメージしないものが取り入れられるよう配慮されている。
しかし実際には後述のように、海外では「準軍事組織」として認識されることもある。
現に、世界的には海軍と沿岸警備隊は共通する部分が多く、制服のデザインも類似しているため、他国の沿岸警備隊に準じた制服を採用している日本の海上保安庁も、海上自衛隊を含む各国海軍の制服と類似している。

世界的に見た場合、一般的に主権を行使できる国境警備隊・沿岸警備隊は「準軍事組織」と認知されているため、海外の報道や資料では海上保安庁を「準軍事組織」として扱っている場合もある。
しかしながら、巡視船などに海上自衛官を同乗させることはほとんどなく、日本の法律もそれを定めていない。

巡視船艇の船舶自体の運航体制は民間船舶とほぼ同様であり、海上保安業務等は残りの乗組員により執行される。
また停泊中は数名の当直を残し船内もしくは宿舎等で待機する。

■ 防衛大臣による指揮

自衛隊法第80条により、有事の際防衛出動や内閣総理大臣の命令による治安出動において特に必要な場合には、内閣総理大臣の命令により防衛大臣の指揮下に組み入れられる可能性がある。
これは海上保安庁の設立モデルとなった米沿岸警備隊が戦時には米海軍の指揮下に入り、「軍隊」として運用される規定に倣ったものである。

ただし、防衛大臣の指揮下に入った場合でも、その行動範囲や活動権限は特に通常時と変わらない(特に武器の使用については、あくまでも警察官職務執行法に従わなければならない)ことから、あくまでも自衛隊が必要とするところ(自衛隊施設など)への警備を手厚くするよう指示したり、実際の警備行動において自衛隊と海上保安庁の各部隊を一元的に指揮し、両者の連携を円滑にする程度に留まると思われる。

また、「文面を見る限り、自衛隊法第80条は、海上保安庁法第25条と矛盾するのでないか」との指摘もあるが、防衛大臣の海上保安庁の部隊に対する指揮は、直接行われるのではなく、海上保安庁長官に対して(間接的に)行われるに過ぎない。そのため、矛盾しないものと考えられている。

1999年に能登半島沖不審船事件が発生し、このとき海上自衛隊に初の海上警備行動が発動された。
このときの反省を受け、不審船対策についての海上保安庁と海上自衛隊との「共同対処マニュアル」を策定、情報連絡体制の強化や連携訓練を行っている。
また、海上自衛隊が海上保安庁の任務を一時的に肩代りするものであるから、そのときの活動は自衛隊といえども警察官職務執行法・海上保安庁法が準用される。
従って、不審船問題の対処として、海上自衛隊との連携のほかに、海上保安庁自身の装備能力が増強され、2001年には海上警備業務における武器使用について海上保安庁法の改定がなされた(第20条第2項)。この改定の直後、九州南西海域工作船事件が発生した。

■ 組織の沿革

1946年(昭和21年)7月1日 - 前身として、運輸省海運総局に不法入国船舶監視本部を設置。
1948年(昭和23年)5月1日 - 運輸省の外局として、海上保安庁設置。
長官官房、保安局、水路局、燈台局の1官房3局の構成。
全国9か所に海上保安本部設置。本部の名称には設置場所の地名を冠称。
1948年(昭和23年)5月12日 - 旧海軍省庁舎にて業務開始。5月12日は開庁記念日とする。
1949年(昭和24年)1月1日 - 船舶検査業務を運輸省から移管。
1949年(昭和24年)6月1日 - 海上保安庁長官を補佐する職として海上保安庁次長を設置。
内部部局は長官官房、警備救難部、保安部、水路部、燈台部の1官房4部の構成。
海上保安学校設置。所在地は母体の海上保安教習所、水路技術官養成所、燈台官吏養成所がそれぞれあった東京都江東区越中島、神奈川県茅ヶ崎市、横浜市に分散。
1950年(昭和25年) 6月1日 - シーマン系のトップとして、海上保安庁次長の同等職たる警備救難監を設置。
長官官房を総務部、保安部を海事検査部にそれぞれ改称するとともに、船舶技術部を新設し、本庁は6部構成。
全国の海域を第一海上保安管区から第九海上保安管区に分け、海上保安本部の名称を地名から管区名(番号名)に改称。
11月1日 - 海上保安学校から初任訓練を分離し、広島県呉市に海上保安訓練所を設置。
1951年(昭和26年)4月1日 - 海上保安大学校を東京都江東区越中島に設置。
海上保安学校は京都府舞鶴市に移転統合。
1952年(昭和27年) 4月26日 - 本庁に経理補給部を新設し、7部構成。海上警備隊を設置。
5月1日 - 海上保安大学校を広島県呉市に移転。
8月1日 - 海上警備隊を保安庁所管の警備隊として分離。 船舶検査業務は運輸省船舶局に移管し、海事検査部は廃止して6部構成。
1955年(昭和30年)4月1日 - 海上保安訓練所を廃止し、業務を海上保安学校に統合。
1957年(昭和32年)4月4日 - 水路部を除く本庁を旧海軍省庁舎から中央合同庁舎第1号館(現農林水産省)南棟に移転。
1962年(昭和37年)1月1日 - 第七管区から分離して第十管区を新設。
1972年(昭和47年) 5月15日 - 沖縄復帰に伴い、第十一管区(旧琉球海上保安庁)を新設。
11月27日 - 水路部の新庁舎が東京都中央区築地に竣工。
1973年(昭和48年)1月22日 - 水路部を除く本庁は、運輸省が入居する霞が関合同庁舎第3号館の増設階に移転。
1984年(昭和59年)7月1日 - 本庁の経理補給部と船舶技術部を統合し、装備技術部を設置して5部構成。警備救難部の所掌事務のうち、通信設備、航空機に関する業務は装備技術部に移管。
1988年(昭和63年)4月1日 - 海上保安庁創設40周年を記念し、海上保安庁音楽隊が発足。その後2004年3月末までの演奏実績は387回を数える。
1997年(平成9年) 9月3日 - 内閣に設置された行政改革会議は、海上保安庁を国家公安委員会に移管する中間報告を決定。
12月3日 - 行政改革会議は最終報告において、海上保安庁の国家公安委員会移管案を撤回。
2000年(平成12年)4月1日 - 海上保安庁の英語表記を Maritime Safety Agency of Japan から Japan Coast Guard に改称。
2001年(平成13年)1月6日 - 中央省庁再編により、国土交通省の外局。
2002年(平成14年)4月1日 - 水路部を海洋情報部に改組。
2003年(平成15年)4月1日 - 警備救難部から航行安全業務を分離して燈台部と統合し、交通部に改組。
2007年(平成19年)1月1日 - 統制通信事務所を廃止。

■ 規模

総職員数は12,504名(2009年4月1日)であり、これは愛知県警とほぼ同じである。
参考までに、警察官は257,125名(2010年4月1日)、海上自衛官は45,518名(2010年4月1日)である。
予算: 1820億円(2009年度予算)(参考: 2009年度海上自衛隊予算は約1兆522億円)
船艇: 455隻(2009年4月1日現在) 航空機: 73機(2009年4月1日現在) 海上保安庁(本庁)/ 海上保安庁長官 / 海上保安庁次長 / 警備救難監 / 首席監察官 / 総務部 / 海上保安試験研究センター(東京都立川市、立川広域防災基地内) / 装備技術部 / 警備救難部 / 海洋情報部 (旧: 水路部) / 交通部(旧: 灯台部) / 海上保安大学校(広島県呉市):初級幹部育成(学士取得)、特修科(幹部登用制度)・潜水研修等各種研修 / 海上保安資料館 / 海上保安学校(京都府舞鶴市):初任育成、各種研修 / 門司分校(福岡県北九州市門司区) : 有資格者中途採用者初任研修、各種研修 / 宮城分校(宮城県岩沼市) : 航空関連研修

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