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動画でお散歩 /サンドウィッチマン (飲酒検問)

サンドウィッチマン

サンドウィッチマンはグレープカンパニー所属(※2010年7月1日から)のお笑いコンビである。1998年9月にコンビ結成。専攻はコントであるが、漫才日本一を決める2007年M-1グランプリ王者となったことで一気に知名度が上がったため、一般的には漫才で有名である。なお、本職とされるコントの方でも2009年にキングオブコントで準優勝をしている。

メンバー
伊達みきお(だてみきお、本名:伊達 幹生、1974年9月5日 - A型) 宮城県仙台市泉区出身。
ツッコミ担当(ショートコントではボケに回ることも)。チンピラを彷彿とさせるパワフルな突っこみはプロの間で定評がある。 ネタ中では見かけによらず、「クレープ屋」だったり、「ヨガの先生」という設定がある。

「街頭アンケート」の漫才ではB型の設定だった。 富澤たけし(とみざわたけし、本名:富澤 岳史、1974年4月30日 - AB型) 宮城県仙台市泉区出身。
ボケ担当(ショートコントではツッコミに回ることも)。ネタの大部分(95%ほど)を作っている。 コンビ名はサンドウィッチマンに由来。後述するようにもともとメンバーが3人だったため、結成初期より「3(サン)」の入った言葉をコンビ名としており、サンドウィッチマンもその理由でつけられた。ほかに候補として三途の川、三角関係、三角州などがあった。

ネタは漫才・コントの両方をこなす。主にコントを行うが、動きよりも会話のやり取りで笑いを取るものが多いため、場所に応じては漫才に作り替えて披露することもある。2007年M-1グランプリで披露した漫才2本も、元々はコントとして作られたものである。そのためもあり、自分たちのことを「コント師」や「漫才師」ではなく「漫コン師」と自称するときがある。
ネタは主に富澤がノート・携帯電話に書き込みながら作っている。ツッコミの部分は伊達が付け加えたりするときもあるが、台本に起こし最終的な構成をかけているのは富澤である。フラットファイヴの構成作家の水野としあきもネタ作りに協力している場合もある。「母からの手紙」などの一部のネタは伊達が中心となって作っている。 富澤の方はパソコンで清書した台本を用いたいのだが、伊達の「富澤の女の子みたいな丸文字で書いた文字じゃないと頭に入らない。」と理由から、現在も台本は手書きである。
初めてテレビでネタ披露した番組は2005年のBSフジ「東京金歯(笑)」。 漫才のつかみやトークでの紹介時に30秒以下のショートコントをすることもある。トークやワイドショーでショートコントをやる際にはオチの後に「はい、○○!」と番組名を叫ぶ。
なお本人達はネタ以外ではボケ、ツッコミの役割分担は気にしていないため、フリートークでは自由なポジションで対応している(立場が逆転して伊達に富澤がつっこむ様子も見られる)。 単独ライブでは伊達がボケに回る「何でも知っている男」などのネタも存在する。
伊達は哀川翔のモノマネを披露することがある。単独ライブではこのモノマネのキャラクターは哀川超、哀川調、哀川町の名で登場した。 「ちょっと何言ってるか分かんない」や「630円になります」「630円?はい、丁度だよ」「30円のお返しです」「600円じゃねえか!何で30円多く獲ったんだ」などの件が多くのネタで見られる。

テレビで披露したショートコント
野生の王国 / ラーメン / 取り立て / イタズラ電話 / 男塾 / ハイジャック / 挙式 / ラーメン屋 / 新入社員 / お好み焼き / トイレ
テレビで披露したコント
結婚式のスピーチ / ファミレス / デリバリー / ハンバーガーショップ / 街頭アンケート / 父親の説教 / 母からの手紙 / 携帯電話 / ファンレター / 葬儀社 / タクシー / 映画の宣伝 / 美容院 / 救急隊員 / 新人マネージャー / 職務質問 / 墓参り / 深夜のラジオ / 飲酒検問 / ガソリンスタンド / マイクデービス / タバコ禁止区域に足を一歩踏み入れた時 / ウエディングプランナー / 引越し屋 / 刺された男 / テレビショッピング / 花嫁の手紙 / 代表に選ばれない理由 / いじめ疑惑 / みどりな窓口 / 3分クッキング / 釣り / メガネ屋 / 不動産屋 / 取り調べ

来歴
2人は仙台商業高等学校(現仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、高校時代のラグビー部で知り合う。
卒業後、お笑い芸人になりたかった富澤は、1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に別の相方と組んで「ゆやゆよん」というコンビ名でアマチュア活動をしていたが、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった[3](仙台吉本に所属していたという報道があったが、これは誤報)。
仙台吉本が閉鎖されたため、富澤は、もともとは伊達と組みたかったので、既に福祉関係の仕事に就いていた伊達を誘い、3年かけて口説き落としたという。1998年に二人で上京(これは同期だったポプラ並木が上京し、お笑い芸人として活動を始めた影響とのこと)。二人はまず『親不孝』と言うコンビを結成、その後、浜田ツトムを入れたトリオで『サンドウィッチマン』を結成。浜田が脱退(現在は『メインストリート』というコンビで活動)した後も元のコンビ名には戻さず、そのままになっている。

かつてはホリプロやH・R事務局に所属していた。しかしお笑いの事を解っていないマネージャー等に、ネタの内容について注意される事を嫌い、自由にネタをできる会社を探したところ、現在の事務所に所属する事になる。
その後M-1グランプリ2007において、史上初の敗者復活からの優勝を果たし、知名度を全国的に広げる。

2008年1月26日、仙台市の泉中央副都心にあるイトーヨーカドー仙台泉店で、fmいずみ「サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)」の公開収録を行った(観衆は2000人)。宮城県知事から「みやぎ夢大使[6]」に任命され、泉区長から区長賞を授与された。 2008年11月 奈良県にある白鳳女子短期大学の学園祭を訪れている。
伊達みきおが2009年5月11日、自身のブログでフリーアナウンサーの熊谷麻衣子と結婚することが明らかになり、さらに、相方の富澤たけしは、2009年4月2日に年下の一般人彼女と入籍していた事が、2009年6月8日に所属事務所を通じてFAXでマスコミ各社に明らかになった。同年の夏、両者共結婚。サンドウィッチマンにとって2009年には晴れてゴールインしためでたい年となった。
キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し出場し、決勝進出を果たす。1stラウンドを1位で折り返すものの、結果は2位となった。翌年は出場しなかったが、伊達は自身のブログで今後の再参戦の意志を述べている。

M-1グランプリ
2002年からM-1グランプリにエントリーをし、2002年は1回戦敗退、2003年と2004年は2回戦、2005年と2006年は準決勝まで進んだ。そして2007年には敗者復活戦から決勝進出を果たし、決勝前半戦を1位通過、最終決戦でも審査員7人中4票を獲得し、優勝を果たす。M-1グランプリ史上初、敗者復活戦枠から優勝を勝ち取ったコンビとなった(ちなみに敗者復活から最終決戦に進出して初めて票を得たコンビでもある)。
M-1最終決戦で敗れた優勝候補のトータルテンボスの大村朋宏は、M-1終了後の『ヨシモト∞』にて「サンドウィッチマンかパンクブーブーが敗者復活の勢いをもって勝ち上がってきたら危ないと思っていた」と発言。またM-1グランプリ2007のDVDに収録されている舞台裏の模様で、敗者復活戦の勝者が発表された際に同大会決勝進出者の1組である千鳥が「エライやつが出てきた」と発言していることから、世間的には決して知名度は高くなかったが、芸人の間ではその実力は知られており評判も高かったようである。また、ファーストラウンド終了後から、「もうネタはありません」と冗談を言っていたが、その時の司会者である今田耕司は「まだ、おもろいネタがあるやろ」「俺、見たもん」と叫んでいることから今田もサンドウィッチマンの実力を知っていたようである。この時トータルテンボスが名前を挙げたもう1組のパンクブーブーもその後2009年にM-1で優勝をしている(奇しくも、ファーストラウンドを二組とも同じ点(651点)で通過している)。 準決勝では「結婚式のスピーチ」のネタをしており、ファーストラウンド1位通過の後今田からそのネタを推されるが、「読み物漫才は決勝では不利」と聞かされていたため、「ピザのデリバリー」にネタを変更した。
この時、審査をしていたオール巨人は、ファーストラウンドのコメントにて、「どうして彼らは、敗者復活ではなく、決勝進出が出来なかったのか?」と、当時のあったM-1の問題点を指摘している。他にも番組終了後の記者会見で島田紳助が松本人志と「サンドウィッチマンが準決勝で落ちた理由が不可解だ」と話しあっていたことを発言していた。ちなみに紳助、松本、巨人ともにサンドウィッチマンにファーストラウンド最高得点をつけるとともに、最終決戦もサンドウィッチマンに投票した(残りの1票は上沼恵美子が投票)。
M-1の決勝で伊達がつけていた黄色のサンタのネクタイはフジテレビの双川正文(ピン芸人「ふたじろう」)に「クリスマス時期に行う決勝戦」をイメージしてプレゼントされたものである。伊達はそのネクタイをその日しかつけていないため、現時点では無敗のネクタイとなっている。
決勝の舞台で富澤はツカミで「名前だけでも覚えて帰って下さい」というセリフを発した(後に自身のブログのタイトルにもなっている)が、それは敗者復活戦でのツカミが下ネタであったために出番直前に急遽変更したものである。優勝後の漫才では「名前だけでも・・・もういいや」に変わり、伊達が「もういいよそれは。大体わかるだろ」と返すこともあった。
優勝後の記者会見で伊達が優勝賞金1000万円の使い道を「親にあげる」と発言したため、M-1リターンズでの賞金の贈呈式には二人の母親が呼ばれ、賞金も500万円ずつ二人の母親に授与された。

=掲載のテキスト/画像=
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者:空欄  掲載サイト
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最終更新 2010年12月25日 (土) 22:33