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種子島 鉄砲まつり
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種子島 鉄砲まつり


鹿児島県 / 種子島鉄砲まつり


■ 西之表市 種子島鉄砲まつり
【開催日時】 2012年8月19日 (日)
【開催場所】 西之表市街地一円(鹿児島県西之表市 )
■鉄砲伝来の地として知られる鹿児島県 種子島で開かれる鉄砲まつりは、1543年鉄砲伝来を記念して行われる種子島最大のまつりです。
島内の保存会などによる火縄銃の試射や国産第1号銃を手掛けたとされる「八板金兵衛」とその娘「わかさ」ら、関係の深い人々に扮した南蛮行列、太鼓山行列、南蛮船を模した山車、演芸大会と続きます。
フィナーレは西之表港湾内で打ち上げられる3000発の花火が夜空を彩ります。交通:種子島空港から車で約25分 種子島空港から国道76号経由で約25分です。
■ 鉄砲伝来(てっぽうでんらい)
鉄砲伝来とは、15世紀にヨーロッパから東アジアへ火縄銃型の鉄砲が伝わったこと、狭義には日本の種子島に伝来した事件を指す。鉄砲現物のほか、その製造技術や射撃法なども伝わった。
「鉄砲」とは日本においてはじめは火縄銃をさす言葉として使われ、後に小銃から大砲まで火器一般を意味する名称となった。
■ 種子島への鉄砲伝来
『鉄炮記』によれば、種子島への鉄砲伝来は天文12年8月25日 (旧暦)(ユリウス暦1543年9月23日)の出来事で、大隅国(鹿児島県)種子島西之浦湾に漂着した中国船に乗っていた「五峰」と名乗る明の儒生が西村織部と筆談で通訳を行う。
同乗していたポルトガル人(「牟良叔舎」(フランシスコ)、「喜利志多佗孟太」(キリシタダモタ))の2人が鉄砲を所持しており、鉄砲の実演を行い種子島島主である種子島恵時・時尭親子がそのうち2挺を購入して研究を重ね、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて複製を研究させた。
その頃種子島に在島していた堺の橘屋又三郎と、紀州根来寺の僧津田算長が本土へ持ち帰り、さらには足利将軍家にも献上されたことなどから、鉄砲製造技術は短期間のうちに複数のルートで本土に伝えられた。(ただし、アントニオ=ガルバンの『諸国新旧発見記』(1563年)によれば「1542年、アントニオ・ダ・モッタ、フランシスコ・ゼイモト、アントニオ・ペイショットの3人がシャム(タイ)から寧波または双嶼へ向かう途中で嵐に遭遇し、種子島に漂着したという。)
やがて鉄砲鍛冶が成立し、戦場における新兵器として火器が導入され、日本の天下統一を左右することになる。後に徳川家康による覇権の成立後、日本は武器輸出を禁止した。
伝来当初は猟銃としてであったがすぐに戦場で用いられ、当時の鉄砲はマッチロック式であり、火縄銃と呼ばれた。やがて早合と呼ばれる弾と火薬を一体化させる工夫がなされ、すぐに装填できるよう改良された。実戦での最初の使用は、薩摩国の島津氏家臣の伊集院忠朗による大隅国の加治木城攻めであるとされる。
九州や中国地方の戦国大名から、やがて天下統一事業を推進していた尾張国の織田信長が1575年(天正3年)に甲斐武田氏との長篠の戦いをはじめとする戦で、鉄砲を有効活用したとされ、鉄砲が戦争における主力兵器として活用される軍事革命が起こる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者: 記載無し 掲載サイト
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最終更新 2011年2月23日 (水) 07:12
