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指宿温泉 砂むしまつり

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指宿温泉 砂むしまつり

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砂むしまつり

鹿児島県 / 指宿温泉 砂むしまつり

指宿温泉砂むしまつり
指宿温泉砂むしまつり

■ 指宿温泉 砂むしまつり

【開催日時】 2012年10月27 日(土)〜 28日(日)(第65回指宿温泉祭)
【開催場所】 セントラルパーク指宿周辺(指宿市湯の浜)

■指宿の温泉と言えば「砂蒸し温泉」 
砂蒸し温泉は、ダイレクトに大地の恵みを感じれる温泉です。

■ 指宿温泉(いぶすきおんせん)

鹿児島県指宿市東部(旧国薩摩国)にある摺ヶ浜温泉(砂蒸しで有名)、弥次ヶ湯温泉、二月田温泉などの温泉群の総称。鹿児島県内有数の観光地であり、2003年(平成15年)において年間285万人の観光客が訪れ、91万人の宿泊客を集めている。農業や養殖などへの温泉利用も盛んであり、温泉の9割が産業利用されていた時期もあった。また、1960年頃から始まったハネムーンブームの中、「東洋のハワイ」と呼ばれた指宿温泉は、そのメッカとして賑わった。

泉質はおおむねナトリウム-塩化物泉であるが地域や掘削深度によって塩分濃度や微量成分が異なる。活動泉源はおおむね500カ所。一日あたりの総湧出量は約12万トン。湧出温度は50-60℃が多いが、100℃に達するものもある。温泉の水源は池田湖や鰻池に溜まった雨水と鹿児島湾からの海水が地下で混合したものであり、熱源は阿多カルデラに関連したマグマであると考えられている。

「指宿」の名称は「湯豊宿」に由来すると言われているが別の説もある。江戸時代以前は高温の温泉や噴気口が点在する湿原であり危険な場所とされていたが、麻の加熱処理や炊事用、浴用として古くから利用されていた。江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』にも多くの温泉が紹介されている。

明治以前は自然に湧出する泉源を利用するのみであったが、地面を数m掘削することにより容易に温泉が得られることから広範囲にわたって開発が進められた。特に1919年(大正8年)頃から1955年(昭和30年)頃にかけて温泉熱を農業や製塩に利用するために地下から大量の湯がくみ上げられ、古くから使われている泉源の枯渇や温度低下などの問題が多発した。

このため新たな温泉源の探索が行われ、1957年(昭和32年)に地下200-300mの新たな温泉地層が発見され利用されるようになった。1964年(昭和39年)以降、温泉の製塩への利用は禁止されているが、農業や魚の養殖への利用は現在も行われている。

高度経済成長以降、大規模なホテルが建設されるなど観光地としての開発が進み、日本国内および海外から多くの観光客が訪れるようになった。1982年(昭和57年)から毎年1月の第2日曜日に指宿温泉マラソン(1984年からいぶすき菜の花マラソン)が開催されるようになり、毎年1万人以上の参加者を集めている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者: 記載無し 掲載サイト
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最終更新 2011年2月3日 (木) 03:33
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