動画でお散歩。。。遊行寺の一つ火

 動画でお散歩。。。遊行寺の一つ火

nagomi画像
神奈川県の祭り
神奈川県のまつり画像

神奈川県 / 遊行寺の一つ火

you tube 祭り
遊行寺の一つ火

■ 遊行寺(清浄光寺)の一つ火

【開催日時】 毎年11月27日
【開催場所】 遊行寺 (清浄光寺)(神奈川県藤沢市)

■ 毎年11月27日に遊行寺(清浄光寺)の『一つ火』の法要が厳かに執り行われます。

お念仏の合唱が終わると、遊行寺の明かりが全て消され、遊行寺内は 静寂と闇に包まれます。

闇の中から遊行上人の深く沈みこむような念仏が聞こえる中、 火打石を打つ音が堂内に響き火花が散っていきます。
新しい灯りが堂内を徐々に照らしていきます。

真っ暗な闇とは「仏の教えがすたれた末法の世」を、新しい火は「末法の世から念仏の教えが盛んになる」ことを表しています。

静寂の暗闇から聞こえる念仏と、徐々に照らされていく新しい灯りの感覚は、幻想的で神秘的なを世界を感じさせてくれます。

■ 清浄光寺

清浄光寺(しょうじょうこうじ)は、神奈川県藤沢市にある時宗総本山の寺院。藤沢山無量光院清浄光寺と号す。代々の遊行上人が法主(ほっす)であるため遊行寺(ゆぎょうじ)の通称の方が知られている。藤沢道場ともいう。東国花の寺百ヶ寺神奈川15番札所。

俣野(現在の藤沢市西俣野、横浜市戸塚区俣野町、東俣野町)の領主だった俣野氏の一族である俣野五郎景平が開基。景平の弟である遊行上人第四代呑海は、三代智得の死後にその跡を継いで時宗総本山であった当麻道場(無量光寺 (相模原市))に入山しようとするが、呑海が遊行を続けている間に北条高時の命令により当麻にいた真光が止住するようになっていたため、正中2年(1325年)に俣野領内にあったという廃寺極楽寺を清浄光院として再興したのが開山と言われる。

当時は現在より400mほど北の、光徳と呼ばれる場所にあった。その後藤沢四郎太郎に土地を提供されて西富に移った。以後、この寺に独住するようになった遊行上人を藤沢上人と称するようになる。次第に当麻道場をしのぐ影響力を持つようになり、藤沢は門前町として発展するようになった。

伝承では、現在の西俣野の北部の道場ヶ原にも呑海上人の関係する寺があったと言伝えられている。(古遊行寺)

延文元年(1356年)八代渡船が梵鐘を鋳造し、清浄光寺と改称。応永年間に2度焼失し、より広い堂宇が再興された。

永正10年(1513年)北条早雲と三浦道寸、太田資康との戦いにより全山焼失。本尊の阿弥陀仏は駿河国府中の長善寺に移されたが、永正17年(1520年)に二十四代不外によって甲府一蓮寺に置かれた。

元亀2年(1571年)には甲斐国の武田信玄から藤沢200貫、俣野の内100貫の土地が寄進された。

三十二世遊行上人普光は、天正19年(1591年)に常陸国の佐竹義宣に招かれ、水戸に藤沢道場神応寺を建立し、時宗の本拠とする。普光は甲府一蓮寺の天順を清浄光寺看主とし、天順は慶長12年(1607年)に清浄光寺を再興させた。寛永8年(1631年)に江戸幕府寺社奉行から諸宗本山へ出された命により、清浄光寺から「時宗藤沢遊行寺末寺帳」を提出、幕府から時宗274寺の総本山と認められる。

清浄光寺は浅草日輪寺、甲府一蓮寺、山形光明寺、京都法国寺、大浜称名寺の5寺の住職任命権を持ったが、貞享4年(1687年)頃から各諸派の独立を求める動きに、それらが本山と名乗ることを許し、上位の総本山という位置づけとなった。

徳川綱吉の生類憐みの令では、江戸市中の金魚の保護所となった。

◇ A Related Words :
遊行寺の一つ火 2011/清浄光寺の一つ火 2011/御滅灯

=掲載のテキストについて=
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者: 記載無し 掲載サイト
掲載のテキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。
最終更新 2011年6月20日 (月) 23:18
Sponsored Link