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三内丸山遺跡ライトアップ

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三内丸山遺跡ライトアップ

■ 三内丸山遺跡ライトアップ

【開催日時】 2月中旬
【開催場所】 三内丸山遺跡(青森県青森市大字三内字丸山)

■ 特別史跡 三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の日本最大級の縄文集落跡です。
平成12年11月には国特別史跡に指定されました。

発掘調査によって、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土や石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。 当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められています。

遺跡は通年で公開され、自由に見学することができます。

■ 三内丸山遺跡

三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500年前-4000年前)の大規模集落跡。沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。2000年に国の特別史跡に指定。遺跡跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料館もある。2009年8月現在、青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡保存活用推進室が発掘調査を行っている。

■ 三内丸山遺跡 遺跡の概要

八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20メートルで、遺跡は約38ヘクタールの広大な範囲に広がっている。前期の集落は住居・墓・捨て場などから構成されている。中期には、住居・大型掘立柱建物・掘立柱建物・貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路などが、前期同様計画的に配置されている。

この遺跡は現在の敷地から、広場を囲むように住居が造られた環状集落であると見られることもあるが、住居が非同心円状に機能別に配置されているところから見て、それとは異なる形式であると考えられる。現在の遺跡の環状構造はかつて野球場建設の際、その敷地が円形であった跡であり、遺跡とは関係ないものである。

遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。また、他の遺跡に比べて土偶の出土が多く、板のように薄く造られていて板状土偶と呼ばれる。次の縄文後期や晩期の立体的に体の各部を表現した土偶とは大きく異なっている。

遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、それが栽培されていたものであることなども分かり、多数の堅果類(クリ・クルミ・トチなど)の殻、さらには一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土した。

三内丸山の人たちは、自然の恵みのみ依存した採取活動ではなく、集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽していたし、一年草を栽培していた可能性が考えられる。このことを通してこの遺跡の居住者数は数百人と考える事ができる。この考えに異論がないわけではない。平成6(1994)年9月に青森市で開催された「北のまほろばシンポジュウム」では最盛期の縄文時代中期後半には500人の居住者がいたのではないかとの発言があったが、論議は沸騰し、500人は多すぎるのではないかとの意見が圧倒的であった。

それらは縄文時代の文化が従来考えられていたものよりも進んだものであることを示すものであった。遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、未だに全容は把握しきれていない。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者: 記載無し 掲載サイト
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最終更新 2011年5月21日 (土) 16:24
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