動画でお散歩。。。アンクル トリス

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トリスウイスキー(Torys Whisky)

トリスウイスキー(Torys Whisky)は、サントリー(現・サントリー酒類)から発売されているウイスキーブランドの一つである。サントリーホールディングスの登録商標(第667200号他)。

発売以来中身は改良を重ねており、現在の製品はモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたブレンデッド・ウイスキーで、戦後の洋酒ブームの火付け役となった、国産ウィスキーの代表的存在としてその名を知られている。

歴史

寿屋の創業者である鳥井信治郎は、1907年(明治40年)に赤玉ポートワインを発売し、同社の土台を築くと共に、海外からさらなる洋酒を国内に広めるべくヒントを得ようとしていた中で、ある時海外からウイスキーとは名ばかりの模造アルコールに近い商品を手にする。当然これでは売り物にならないため、葡萄酒用の樽に寝かせておいた。

数年後、この液体は琥珀色に熟成し、鳥井はそれがウイスキーであることを確信した(ただし、現在の基準ではウイスキーとは認められないものである)。その後、この液体を「トリス」と名付けて売り出したところ、あっという間に売れた。これを機に、鳥井は国産初のウイスキー製造に乗り出す決意を固め、1923年(大正12年)、京都と大阪の境、山崎に蒸留所の竣工に踏み切ることになる。

トリスウイスキーとしての発売は、戦後の1946年である。当初は原酒を5%入れていたが、徐々に原酒の配合割合を上げる営業策が取られ、やがて10%に引き上げられて二級ウイスキーとして発売されている。

ウイスキーメーカーとしてのサントリーの原点となる洋酒であり、またロングセラーのブランドとして重視されている。従来は、1960年代に若者であった層に愛飲者が多かったが、2003年にラインナップを一新したことにより、新たな若者層にも愛飲者を拡大させている。

さらに、2009年頃からのハイボールブームに乗る形で、2010年9月にこれまでのラインナップを刷新し、よりハイボールに合うキレのある味わいに仕上げた「トリス・エクストラ」と同製品をベースにした「トリスハイボール缶」を発売した。

年表

1919年(大正8年) - 最初の「トリスウヰスキー」が発売される。初代トリスは、果実酒から作られたもので、現在の酒税法ではブランデーとしての扱いになる。

1946年(昭和21年) - 「トリスウイスキー」が発売される。
1949年(昭和24年) - トリスウイスキーの広告が掲載されるようになる。
1958年(昭和33年) - イメージキャラクターアンクルトリスが発表される。
1998年(平成10年)11月 - 2700mlペットボトル・4000mlペットボトルの大容量サイズ「でかトリス」を発売。
1999年(平成11年)3月 - パッケージデザインリニューアル(カタカナ表記が追加される)。
2000年(平成12年)7月 - 「でかトリス」の2700mlペットボトルが環境配慮型に変更(取っ手部の廃止とタックラベルの採用)。
2003年(平成15年)3月 - 「トリスウイスキー スクエア」を発売。 / 同年4月に180ml入りのポケット瓶を追加。
2004年(平成16年)5月 - 「でかトリス」を刷新した「トリスウイスキーブラック」を発売。
2005年(平成17年)1月 - 640ml瓶と1800ml紙パックを追加。
2010年(平成22年)9月 - 「トリス・エクストラ」とそれを使用した「トリスハイボール缶」を発売。
本製品の発売に伴い、「トリスウイスキー」及び「トリスウイスキーブラック」は製造終了となった。

その他

語源のTorysとは、鳥井信冶郎の名に由来し、「鳥井の」という意味を持つ。しかし、最初に発売されたトリスは、模造ウイスキーに近いような品質であったことや、またウイスキー自体が麦を仕込んで、原酒を寝かせてから、発売されるまでに時間が掛かることもあり、戦前に「トリス」の名を冠された製品は、主に紅茶やカレー粉など、ウイスキーとは違うものにブランド名として付けられていた。終戦間もない1946年、終戦直後の混乱期の中で、出どころの知れない粗悪なアルコール類を牽制すべく、ようやくブレンデッド・ウイスキーとしてのトリスウイスキーが誕生することになる。

1950年頃に「うまい」「安い」のキャッチフレーズで発売開始。現在でも根強い人気がある。また、柳原良平がデザインしたイメージキャラクター「アンクル・トリス」は、中年の男性をユーモラスに表現したキャラクターで、1960年代の酒類の広告キャラクターの中でも認知度が一番高い。近年、トリススクエアの販売で再び、テレビに登場したのに続き、2010年には「トリス・エクストラ」のCMで女優の吉高由里子と“共演”したバージョンが製作された。トリスエクストラ及びトリスハイボール缶のCMソングには、往年のバラエティ番組『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)のテーマソング(元歌は『隣組』。たかしまあきひこ編曲)の替え歌で「ド・ド・ドリフの…」の部分を「ト・ト・トリスの…」と替えている。

また、トリスを中心に、サントリーが製造販売しているウイスキーを出す、ウイスキーバーは愛称トリスバーと呼ばれ、気軽な値段の庶民酒場として1960年代を中心に人気を博した。最盛期に比べると、数は減少したものの、現在も各地で営業を続けている。「トリハイ」と呼ばれる、トリスウィスキーを使用したハイボールが人気メニューのひとつであり、食事のメニューはややクラシックな洋食が中心となっている。

1955年〜1962年には、後楽園球場のレフトフェンス(ポール付近)に「トリスウイスキー」の広告が登場、テレビ放送の草創期であることも相俟って、プロ野球テレビ中継において一塁側スタンド上のカメラがレフトへ飛んだ打球を追う度「トリスウイスキー」の文字が映し出され、大きな宣伝効果をもたらした。なお、1963年からは、新発売された「サントリービール」に取って代わられたが、こちらも東京ドーム開場初期まで続いた。

1961年には、「トリスを飲んで、ハワイへ行こう!!」というCMが放送された。これは、トリスウィスキーを購入すると抽せん券が同封されており、当せん者は所定のあて先に応募すると、ハワイ旅行の資金(積立預金証書)が贈呈されるというものだった(当時は、まだ一般市民の海外渡航には制約があったため)。1964年に、海外旅行の自由化がなされ実施されたものの、実際に旅行に行った人は100名の当選者のうち30名程で、当選者のほとんどは預金証書を旅行に使わず現金化している。

1981年には、当時サン・アドに所属していたコピーライターの仲畑貴志が企画立案した、子犬が京都の町中を駆け巡るCM「雨と子犬」が放映され、話題を呼んだ。このCMは、その年に開催されたカンヌ国際広告映画祭のCM部門で金賞に輝いている。このCMで流れている歌はビリーバンバンの菅原進がソロで歌った「琥珀色の日々」、撮影は宮川一夫。

「Torys」の書体は発売当初から昭和40年頃まではやや筆記体だったが、昭和40年代前半はゴシック文字、後半からしばらくは明朝体に変化していくが、次第に当初から使用された筆記体に戻された。しかし、2010年の「トリス〈エクストラ〉」は再び明朝体が使用されている。ちなみに、ボトルに今でも初代のサントリーのロゴを使用されている。

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出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
著者:空欄   掲載サイト
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の下で利用可能です。最終更新 2011年1月18日 (火) 13:07